「ボーダーライン」とかいう主人公詐欺な最高の映画

主人公詐欺な作品ってありますよね。

 

例えば、福本伸行の「天」。

東西戦からオーラスへの流れは完全にアカギの物語でした。

そもそも序盤も天よりひろゆきの方が主人公感出してます。

名前以外はね。ひろゆきって。

 

例えば、「ガンダムSEED DESTENY」。

前作の絶対的正義:キラが復讐相手という恵まれた設定からの存在感のなさ。

そもそも主人公なのか?

 

「ボーダーライン」も、そんな映画です。

〜ネタバレを若干含みますのでご注意ください〜

 

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見てくださいこの宣材写真。

完全に真ん中のエミリーブラントが主人公だと思いますよね。

 

 

 

嘘です。

本当の主人公はコイツです。

 

 

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この、いかにも「自分脇役に徹させていただきます」な顔して

左に収まってる渋いおじさん、ベネチオ・デル・トロ扮する謎の傭兵、

アレハンドロこそ本作の本当の主人公です。

 

 

ボーダーラインの見どころ、それは擬似主人公・エミリーブラント扮する、

ケイトの圧倒的「お豆さん」感を楽しむところです。

 

 

 

<ざっくりあらすじ>

 

ケイトはある作戦で一定の成果を上げるものの、

部下数名を犠牲にしてしまいます。

落ち込む中、お偉方が集まる会議に呼ばれ、謎のサンダルばきおじさん、

マットに突然のヘッドハンティングを受けます。

 

 

 

ここら辺で僕たちはこう思います。

「おお、ヘッドハントされるなんてケイトはどんなスキルを持つんだろう?

きっと他にも集められたスペシャリスト集団がいて、

それぞれの特徴を生かす作戦を展開するんだろうなあ」

 

 

 

ですが、一向にチームは結成されませんし、心踊る作戦も展開されません。

ケイトは何も説明されないまま、マットおじさんと連れのおじさんアレハンドロ

(デルトロ)にひたすらついていくだけです。

まるで新卒のOJTのごとくです

 

 

 

業を煮やしたケイトは自分の上司にチクリます。

しかし聞く耳を持たない上司。

憂さ晴らしに相棒(マットからはハミられている)と飲みに行き、

ハメを外しまくります。

(ここでウォーキング・デッドのシェーン役で有名な

ジョン・バーンサルが出てきます。シェーンだ!と毎回僕は笑います)

 

 

 

しかしそんなハメ外しも、敵にも味方にも利用されていただけだったと知り、

さらに落ち込むケイト。

そこをすかさずアレハンドロは慰めます。主人公逆転の瞬間です。

 

 

 

しかしマットおじさんは相変わらずケイトをスルーします。

アジトに行くと、重要作戦が今まさに決行されようとしています。

主人公何も知らされなさすぎで僕たちも重要感が気づけないくらいです。

 

 

 

慌ててついていきます。

全員が迷彩服の重装備の中、Tシャツでの参加です。完全に浮いています。

それでもついていくんです。それがお豆さんの生きる道です。

 

アレハンドロも自分の目的にしか興味がないのでフォローしません。

普通の映画なら「マットはああいうけど、、」的なフォローがありそうですが、

一言もかけません。

 

切ない。

筆者のクソ陰な高校時代を思い出します。

涙が出ます。

 

 

 

そこからの、ひたすらに、暗く、救いようのない展開は、、

ぜひ映画をお楽しみください!

ケイトの振り回されっぷりとアレハンドロの超絶渋みある演技、見ないと損です。

 

 

 

ちなみに余談ですが、美しく独特な映像表現も見どころです。

重いテーマや積極的な残虐表現に目がいきがちですが、

本作は映像表現もこだわりが感じられます。

 

冒頭、エルパソに跳び立つチャーター便から望む景色をはじめとした、

空撮映像の多用。

トンネル急襲作戦での長時間のサーモグラフ/暗視カメラ/衛星映像のみの展開。

 

また、アレハンドロがテーブルを挟んで大ボスと対峙する際の構図など、

一つ一つの構図が単なるクライムアクションものとは一線を画す、

監督の映像へのこだわりが感じられます。

 

 

 

 

お試しアレハンドロ。

変化を喜ぶ

変化を喜ぼう。

 

「シュマリ」という漫画を読んだ。

漫画の神様、手塚治虫先生の北海道開拓をテーマにした名作だった。

ちなみに「ゴールデンカムイ」着想のヒントとなったのでは?とも言われている。

 

僕が面白いと思う漫画や小説には、法則がある。

個人では抗えない社会の大きなうねりと、その中で自らの生きる意義を問う

主人公の葛藤があることだ。

 

実直に仕事に取り組んだにもかかわらず、巨大企業の不祥事に巻き込まれて行く

沈まぬ太陽」。

立身を夢見た2人の青年が、清朝の政権争いのなかで自らの人生を問う

蒼穹の昴」。

 

「シュマリ」は手塚作品だけあって、異性への愛、家族愛、そのほか

様々なテーマがカオスとなり形成されているが、

私はこの作品から「時代の狭間で生きる者の悲哀」のメッセージを強く感じた。

 

主人公は、元徳川幕府の旗本、シュマリ。

そのライバル的存在の、北海道の資源を早期に権益化するため炭鉱を経営する

切れ者、弥七。

 

シュマリからすれば、剣を振り、強い男が正義だった時代。

弥七からすれば、資金と成果にこだわり開拓者精神で突き進めばよかった時代。

 

2人の価値観は北海道の開拓が進むと反比例して取り残されて行く。

 

武器は剣から西洋銃器へ。

強さではなく頭で勝負して行く時代へ。

 

経営は国や銀行の意向を考慮しなくてはいけない。

封建的主従関係は終わり、労働者の権利を守らなければいけない。

 

生きる能力として聡明な2人は変化を十分に感じながらも、

自らの生き様はそこにはないと感じ、人生に落とし前をつける。

 

2人の行く末、ぜひ読んでいただきたい。

 

この漫画を引き合いに出したのは、2018年もまさに明治維新後に匹敵する、

新世代テクノロジーによる大変革時代であると感じているからだ。

 

実は僕は転職をした。

 

新卒から、ITにまつわるデバイスやソフトを扱う大手メーカーで8年働いた。

それなりに結果も出たが、このまま働き続けることで社会の変化に

アダプトし続けられるか不安に陥った。

 

情報の非対称性による既得権益の、インターネットによる崩壊。

外資ベンチャーのスピード感。

中央集権から分散化する時代へ。

 

私たち日本人は一部のアーリーアダプターを除き、明らかに変化を怖がり、

時代をリードできていない。

日系IT企業が口癖のように呟く共創という言葉は、

裏返すとこれからの時代に向けた自らの社会的ミッションを打ち出せていない

クライアント任せで無責任な立場の表れだと思ったのだ。

 

3月からは米系のIT企業で働く。

 

シュマリと弥七のアプローチとは違い、変化を喜んでいく。

 

変化を喜ぶログ、どうぞよろしくお願いします。